年末年始は実家に帰ったり、祖母の家に行ったりと何かと長距離移動が多い。
その長距離移動の全てを新幹線に乗っていくことになるけど、新幹線に乗っている時間が何といっても長い!
小学生の時は苦痛以外の何物でもなかった
小学生の時から、長期休みの時は祖母の家に新幹線に乗って遊びに行っていた。
今と違って、当時はのぞみが停まらない駅だったので、こだまで行くしかなかった。こだまで行くとなると、3時間半ほどかかっていた。
そしてこの時間が小学生にとっては苦痛だった。
小学生と言えば、大人に比べてじっとしていられないし、暇な時間が長いなんて滅多にないこと。時間の潰し方がわからないのだ。
本を読んだり、ゲームをしたり、寝てみたり。色々と試してみるが、なかなか時間が過ぎて行かない。しかも、何か一つのことだけでやる過ごすことも、飽きてしまうからできない。
普段見ることのない土地の景色を眺めてみても、子供なんて情緒もへったくれもない。景色を見たところで、なんの感情も湧かない。
今になって思うと、小学生って休み時間の10分もあれば運動場に遊びに行っていたぐらいに、短い時間でもじっとしていなかった。多分子供と大人で体感時間が全然違うんだと思う。
そりゃ、新幹線に乗って座っているだけなんて苦行だわ。
大人になると時間を潰せるものが増えた
子供であればすぐ親に静かにしろと注意されたり、ゲームの時間も管理されたりと、何かと自由がない。
ところが大人には自由がある。
動画を見たり、ゲームをしたり、携帯をいじったり、本を読んだり、お酒を飲んだり、お菓子を食べたり、寝たり‥。何かと時間を潰すことができるご時世になった。なんなら、今は新幹線にWi-Fiが付いている!(ただしネット環境最悪)
人様に迷惑をかけなければ何したっていい!!大人って最高だよ、と新幹線で退屈そうにしている子供に教えてあげたいぐらい。
しかも大人の余裕が生まれてきたせいか、近くの席の小さな子供がふにゃふにゃと泣き喚いていても、(慣れない新幹線で何かムカつくことがあったんだろうなぁ、イヤイヤ言ってるな)と可愛く思えてきたりもする。
こうやって新幹線移動そのものを楽しめるようになったことで、移動に対して苦痛に感じることが最近になって減ってきた。
目的地に近づいてきた時のホッとした気持ち
大阪、東京と往復して新幹線に乗るときにいつも思うのが、目的地に近づくにつれて(帰ってきたんだ)というホッとした気持ちになること。
大阪も東京もどちらも長く住んできたので、大阪に帰る・東京に帰る、と言ったようにどちらにせよ「帰る」になる。帰る場所が二箇所ある感じ。
この「帰る」場所が1つだけではないのが、私にとっては大きな意味を持っていると感じることがある。自分のいてもいい居場所が他にもあるんだ、と思えるから。
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