東日本大震災が起こった日。私は高校を卒業した頃だった。
関西に住んでいたので、これといった被害はなかった。
地震が起こった時は、家のソファに座っていて、なんとなくめまいのようなものを感じた。
ゆ〜っくりとした横揺れで、波風穏やかな海に揺られているような感覚。
それにしてもめまいなんて感じるほど体調は悪かったっけ?なんだかおかしい。これは地震??
一緒にいた父にも揺れたかどうか確認してみるが、新聞に集中していたせいかわからなかったとのこと。
そうか、地震じゃないのかもしれない。でももしかしたら地震ならテレビのワイドショーあたりで速報で流れるかも。どうせいつもの震度1ぐらいの揺れを感じ取っただけだろうけど。
そう思いテレビをつけてみる。
するとそこには、津波に流される車が映し出されていた。
津波の映像が記憶に残る
テレビをつけてからは、ずっとテレビの前に釘付けだった。
ヘリからの街並みの映像、リアルタイムで津波に飲まれる家、電信柱にしがみついて流されないように必死に耐えている人。
どれも今まで見たことがない衝撃的な映像だった。映画を見ているような実感が到底湧かないようなものばかり。
今ではこういった映像を流すときは、精神的に辛い人は見ないようにと警告が出るようになっている。
ただ当時はリアルタイムで流していた映像だったので、見る人の配慮が必要な映像かどうかを取捨選択することなく、いかに災害の生の現場を映し出すかが大事だったと思う。
私の記憶にはあの時の衝撃的な映像がこびりついている。
悪く言うとトラウマ、良く言うと教訓になる記憶だ。
あの時以来、私は津波の映像をできるだけ見ないようにしている。どうしてもあの時見た津波の映像が思い出されて、テレビに映っていた人たちの安否が気になってしまうからだ。
もしかしたらもう亡くなっているのかもしれない。幸いにも生きているかもしれない。
でもそれを確かめる術はない。
実感が湧かない
これは私が関西に住んでいたからかもしれないが、東日本大震災での被害がどれほど大きかったのか実感が湧いていない。
と言うのも、関西で地震といえば阪神淡路大震災の印象が大きいからだ。
毎年1月17日になると、どのニュースでも阪神淡路大震災に染まる。
段々と当時の出来事を語り継ぐ人がいなくなり、記憶が薄れて風化していく懸念。復興にどれほどのパワーがいるのか。あの時亡くなった方たちのことを今でも忘れられない人の今の気持ち。
特に自分が住んでいる街に近く、行ったことのある街が被害に遭い、この出来事を小さい頃から毎年ニュースで見ていると、私の頭の中にも大きな出来事として植え付けられている。
東日本大震災も相当大きな被害のあった、前代未聞な災害だ。
ただ関西では直接的な被災というのがなく、どうしてもテレビの画面越しでの出来事として捉えてしまう。
私が関東に引っ越してきて驚いたことが、1月17日になっても阪神淡路大震災についてのニュースをやっているところが少ないことだ。
やはり阪神淡路大震災は地元のニュースで、もう全国に知らせるほどの出来事ではないということを思い知らされ、悲しくもなった。
東日本大震災もこのように風化していくことを恐れていると思う。
防災グッズの見直し
私が引っ越すタイミングで、防災グッズの見直しを図ろうと思っている。
防災リュックを導入しようと思っているのだ。
今は1つの場所に防災グッズをまとめているだけで、いざ避難するとなると、何かしらのカバンに詰めなければならない。
その手間を省くために、すでに防災グッズが入っているリュックを買おうかと検討している。
どんなものを買おうかなぁ。
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