印象に残っている校長先生の言葉

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「どんな本でもいいので、一冊は本を読みましょう」

学年集会で校長先生が話すとき、必ずこの言葉を言っていたのを覚えている。唯一覚えている言葉だ。

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何にも覚えていない集会

小・中・高と避けては通れないのが、全校集会。

晴れの日はグラウンド、雨の日は体育館に全学年が集まって、長時間先生方のありがたいお言葉を頂戴する儀式。

結婚式では長時間の挨拶や式辞は控えるのがマナーになっているはずなのに、どうして学校では長時間の集会が許されるのだろうか。

しかも困ったことに、先生方が話す内容は、なぜか怒り、なぜか褒め、なぜか叱咤激励し、なぜか勝手に失望し‥‥。そんなコロコロと移り変わる色んな感情を私たちは一方的にぶつけられ、受け止めなければならない。苦行でしかない。

おそらく先生方はみんなの注目を浴びていることで酔っていると思う。みんなが自分の話を聞いてくれていると思って舞い上がっているのだ。

そうでなければあんなに印象に残らない話を長々と話さないでしょ?子どものためを思う話なら尚更。

先生方が子どもだった時のことを思い出してほしい。子どもの頃の集会で覚えている話はあるのか?印象に残ったことはなんだったのか?全くと言っていいほど覚えていないでしょ?同じことを子どもたちにしていることを自覚してほしい。

つまり、集会で話す内容は長ければ長いほど全く印象に残らないということだ。

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唯一覚えている言葉

集会では必ず最後に校長先生が話す。大ボスの出番だ。

先生の中でも一番接する機会がない存在なので、性格とか特徴が捉えづらい。集会の時でしか声を聞かないから、珍しい存在でもある。

とはいえどんな話をしたのかまでは、他の先生方同様全く記憶に残っていない。

ただ中学生の時の校長先生が、長期休み前の集会で必ず話していた言葉がある。それが「どんな本でもいいので、一冊は本を読みましょう」だ。

いつもいつもこの言葉を言っていた。今でも覚えているぐらいだ。

当時から(そういえば本を読みましょう、とか言ってたな。)と思い、長期休み以外でもちょこちょこと本は読んでいた。そして今でも時間があれば本を読んでいる。私の読書人生に少なからず影響している。

どんな本でもいい、と言ってくれていたのは大きい。ある程度自由さがないと人によって読めるジャンルが違ってくるし、苦手な本を無理に読んでしまうと本のことが嫌いになるのが目に見えている。

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言い続けること。端的に話すこと

大人達は将来苦労しないようにとか、将来役立つからといって親切で教えているのだろうが、子どもはほとんど話は聞いていないし覚えてもいないと思っている。(私だけ?少なくとも私は覚えていない)

なぜこの一言が今でも印象に残っているのか。それは

  • 毎回同じことを言っていた
  • 端的に話していた

この2点だと思う。

毎回集会で同じ話をしていたから記憶に刷り込まれ、しかも端的にこの一言を話すので覚えやすいのだ。

あまり人前で話す機会が私にはないので、今後その機会に恵まれたら覚えておこう。

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