中学生からガラッと環境が変わったので、一つ目の苗字の存在を知らない人たちしかいない。そんな環境だったおかげもあり、わりとすぐに二つ目の苗字に慣れることができた。
しかしそれに反比例するかのように、一つ目の苗字を使っていた頃の感覚を忘れてくる。
例えば、署名の時。
最初のころは、間違えて一つ目の苗字を書きそうになることがあったが、段々と慣れてきて二つ目の苗字をすんなりと書けるようになった。
とはいえ、久しぶりに小学生の頃の友達に会った時に、一つ目の苗字で呼ばれることもあったが、その時は特に呼ばれることに違和感はなかった。
おそらく一つ目の苗字が、心の奥底の方で染みついていて取れないのだろう。
三つ目の苗字
三つ目の苗字は、結婚したことによる改姓だった。
結婚による改姓は、ビッグイベントだと思う。が、私はすでに経験済みのため、そこまで大事に捉えていなかった。
結婚するにあたり、夫とどちらの苗字にするかといった話し合いはほんの数分だけ持ったことがある。
しかし、私が改姓しよう、とぼんやりと自分の中で決めていたため、話し合いというよりも確認程度だった。
なぜ私が改姓することにしたか。
「中国語話せますか?」という質問から逃れたいから。
今回改姓したら、これでどこからどう見ても、日本人らしい名前になる。このおかげで、ようやく私を長年苦しめてきた質問から逃れることができる。
他にも理由があり、新しい苗字になることで、自分自身の人生もまっさらに新しくなるような気がしたからだ。
この感覚は、二つ目の苗字に変わる時にも味わっていて、自分が新品になったように感じたのだ。
この感覚をもう一度味わってみたい。おそらくもう二度と味わうことがない、この感覚。
今も二つ目の苗字を使っている理由
しかし私は、職場や学生の頃の友達からは、二つ目の名字で呼ばれている。
なぜあんなにも忌々しく思っていた苗字を、まだ使い続けているのか。
苗字変更の手続きがめんどくさいというのもあるが、一番の理由は愛着があるから。
忌々しく思っていたのに、愛着がある。なぜかこの相反する感情を二つ目の苗字では持っており、どうしてもパッと手放すことができないのだ。
やはり、私の人生で一番長く使ってきた二つ目の苗字は、嫌なこともあった。それでも、長く使ってきてしまったがゆえに、愛着が湧いてしまった。
たかだか苗字といえど、自分のアイデンティティを形成する重要なものだと、今までの体験から私は思っている。
そしてこれからは、三つ目の苗字と共に人生を歩んでいく。この苗字が私のアイデンティティを形成していくと思う。
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