「挫折した経験はありますか?それをどう乗り越えましたか?」という質問。
実は私はこの質問が苦手。
「どう乗り越えましたか?」という部分は、挫折という言葉に対して矛盾した質問だと思っているからだ。
挫折の意味
そもそも挫折という言葉の意味を調べてみよう。
ざ‐せつ【挫折】
[名](スル)仕事や計画などが、中途で失敗しだめになること。また、そのために意欲・気力をなくすこと。「資金不足で事業が挫折する」「挫折感」
出典:weblio
ここで【中途で失敗しだめになること】とある。
もうだめになっているのだ。だめになっている時点で乗り越えようがないのでは?
乗り越えられるということは、まだだめになっていないのでは??私はそう思っている。
挫折という言葉の重み
「あ〜、まただめだったぁ!!挫折した!!!」
よく聞くし、私も言ってしまいがち。でも挫折って言葉はそんなに軽いものなのか?
口にしやすい挫折という言葉を、頻繁に使ってしまっているから、言葉の意味の割には軽いものになっている気がする。
私の中では挫折とは重めの言葉なのだ。
本当の挫折
私の中での挫折とは「乗り越える術も気力もない状況を知ること」だ。
ちゃんと挫折していることを認識していたら、乗り越えるなんてことは到底できないことも知っている。
挫折を乗り越えた経験があるというのであれば、それはまだ挫折ではないと思う。「状況を知ること」としているのは、挫折と思い込んでいる場合があるからだ。
ただ「困難を乗り越えた」というべきだ。
挫折と困難の違い
こん‐なん【困難】
1 物事をするのが非常にむずかしいこと。また、そのさま。難儀。「困難に立ち向かう」「予期しない困難な問題にぶつかる」
出典:weblio
挫折は「だめになる」、困難は「難しい」こと。
だめになったものはどうしようもないが、難しいのであればまだどうにかなる。つまり困難は乗り越えられるのだ。
挫折は乗り越えるものではない
挫折は乗り越えるものではなく、向き合うべきだと思う。
向き合うことで次に活かせるからだ。
「挫折した経験はありますか?それをどう乗り越えましたか?」ではなく、
「挫折した経験はありますか?それに対してどう向き合いましたか?」と聞いてほしい。
それに対して「無理だと思って諦めました」「他の道を探してみました」といった答えがあっても全く問題ないし逃げの答えでもない。むしろその方がいいと思う。
ちゃんと挫折したことを認めている人の行動だからだ。
挫折した場所で立ち止まっていることほど良くない。ちゃんと向き合おう。それが挫折。
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