伝染性単核球症(EBウイルス感染症)にかかって、完治するまでの話

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高校2年生の文化祭が終わった頃だった。突然倦怠感に襲われ学校に行けなくなってしまったのだ。

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診断前

熱・咳・頭痛といった一般的な風邪症状は全くなく、食欲はまぁまぁある。インフルエンザにかかった時の倦怠感のみといった感じ。

文化祭終わりで疲労が出てきたんだろうか、少し休めば元気になるだろうな。と思い数日は学校を休んでいた。

ところが症状は一向に回復しない!

倦怠感があまりにもひどく、イスにじっと座っていることさえできなくなり寝たきりになっていた。

両親がそんな私の様子を見てさすがにおかしいと感じ、かかりつけ医に行くように私を諭す。私もこのままじゃつらすぎると思い、残りの体力を振り絞ってかかりつけの病院に向かう。

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最初の病院

しかしちょうどこの頃、新型インフルエンザが大流行していた時期でもあり、診察までの待ち時間がいつも以上に長かったのだ。ただでさえここの病院は人気で待ち時間が長いのに、もっと長いなんて待ってられない!と思い、急遽今まで行ったことのない別の病院にふらふらと向かった。

初めて入って驚いたのが、待っている患者が誰一人としていなかったことだ。これならすぐ診察してもらえると思い、横になりたいのを我慢してじっとイスに座って名前が呼ばれるのを待っていた。

名前が呼ばれ、診察室に入り今の症状を医者に伝える。すると医者は口の中を見たり、胸や背中に聴診器を当てたりと一通り診察をしていく。

ようやくこのしんどさから解放されると気が緩んだ私に対して、診察を終えた医者がとんでもない言葉を発したのだ。

「口の中に口内炎ができてますね。これが原因で倦怠感が出ていますね。口内炎の薬だしておけば治りますよ。」

?????

いやいやいやいや!!!!口内炎の辛さとこの倦怠感の辛さの違いぐらいわかっとるわ!!!だから病院来てるねん何言っちゃってんのこのやぶ医者め!!座るのさえつらいって言ってるやん!!!

こんなことを口に出して言えない高校生の私の気持ちもつゆ知らず。パソコンで口内炎の処方薬を打ち込んでいくやぶ医者。

これはとんでもない診断ミスなんじゃないか?絶対口内炎のせいだけでこんなにしんどいはずないのに。もし症状が悪化して死にそうになった時は裁判で勝てるんだろうか。

そんな恨みつらみを押し殺しながら診察室を出て受付で会計をすまし、薬局で口内炎の薬のみ受けとる。受け取るやいなやすぐに薬剤師の目の前で口内炎に直接貼る薄いシート状の薬を貼り付けて、とぼとぼと家に帰ったのだ。

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セカンドオピニオン

家に帰り両親に事の顛末を話す。すぐに両親もその診断はおかしいと感じセカンドオピニオンとして、いつものかかりつけ医に見てもらうようにアドバイス。

さすがの私も待ち時間をケチって別の病院に行ったことを後悔したので、大人しくかかりつけ病院に行くことにした。

しかしまた待ち時間の間座り続けるとなるともう体力の限界だったので、父に私の診察券と保険証を託して病院に行ってもらい、大体どれぐらいで診察してもらえるかを聞いてきてもらうことに。そうすればギリギリまで家で横になっていられるからだ。

そしてようやく診察の時間がやってきた。この時は父と一緒に病院に向かい、一緒に診察室に入る。

私が小さなころから診てもらっているので世間話もそこそこに、問診や触診をしていく。そして最初に行った病院ではしなかった、血液検査をすることになった。この血液検査が私の病状を決定することになる。

採血をして検査に回している間、看護師さんの優しさでベッドで寝かせてもらえることになった。

(くっそ!あのやぶ医者め!二度と行かんからな!!)

と最初に行った病院との待遇の違いに悪態をつきながらも、おとなしくベッドの上で横たわっていた。

検査結果が出たとのことで、また父と一緒に診察室に入る。

診察室のイスに座り、パソコンの画面を凝視する医師の言葉を待つ。そしてようやく口を開いた医師がとんでもない言葉を発したのだ。

「ん?これはちょっとやばいなぁ。やばいやばい。」

え?私やばいの?医者が見てもやばい状態なの??ねぇどうなってんの??教えてよ先生!!!

そんな私の気持ちを察したのか、さらに医師は言葉を続ける。

「肝臓の数値が異常に高いです。これは肝炎ですね。白血球の数値も高いです。紹介状を書くので大学病院で診てもらってください。すぐタクシーを手配しますので、このまま大学病院に向かってください。」

え~、大変なことになってきたよ。ていうかタクシーに乗るって言うのに寝間着で来ちゃったよ。着替えたいなぁ。

人間不思議なもので、窮地に立たされると余計なことを考えてしまう。

受付で紹介状を父が受け取り、手配してくれたタクシーに二人で乗り込み初めての大学病院に向かった。

大学病院での診察

噂には聞いていたけど、大学病院って本当に待ち時間が長い。2~3時間は待たされた覚えがある。

しかしタクシーで向かうような距離の大学病院だったので、待ち時間の間は家で横になるということができない。仕方なく隣の父にもたれながら診察を待っていた。

ようやく診察室に呼ばれると、そこにはいかにも病院の教授っぽい白衣を着た老人の男の人(以後教授)が待っていた。

そしてまた問診と触診をすることになる。その教授はお年頃の女子高校生の私に気を遣ってか、触診の際は父に見えないようにカーテンをしてくれた。私自身は気にしていなかったけど、この配慮はすごくありがたかった。

一通り済んでからカーテンを開け、教授が一言。

「キスしましたか?」

は??さっきの配慮なんやったん???急に剛速球ストレート投げつけてくるやん!しかも父親を横にしてそんなこと正直に言えるかよ!!!女子高生やぞ!!!

「いや、してないですけど…。」

「そうですか。おそらく伝染性単核球症という感染症でして、別名キス病ともいいます。ほとんどの人は赤ちゃんの頃に親からの口移しでかかるもので、9割以上の人がすでに持っているウイルスです。赤ちゃんのころにかかれば風邪症状で済んだんですけど、あなたはそのウイルスを持っていなかったから、症状が出たんですね。本来であればこのまま入院してもらうのですが、幸いにも脱水症状がないようなので、どうしますか?入院するか家で絶対安静にしているか。」

おおぅ、入院って患者が選べるんや。しかも感染症の名前長いな。入院どうしようかな。でも入院生活って暇って聞くし、それやったら家で横になってだらだらテレビ見ていたいな。

ということで家で絶対安静にすることと、栄養と水分を途絶えさせないように毎日かかりつけ医で点滴をすることを約束することになった。どうやら伝染性単核球症というのは、対症療法しかないらしく効く薬というものがないらしい。

とはいえようやく謎の倦怠感の正体が判明したのだ。

診断から治るまで

指定感染症ということもあり、学校も約1ヶ月は休むことになった。病気で学校をこんなに長く休むなんて初めてで、本当に暇だった。

飲み物を取りに行くのと、トイレに行く以外はずっと横になっていた。おそらく入院していたとしてもこんな生活だったと思う。つくづく家で絶対安静を選んでおいてよかったと思った。

また診断が下りてからは、毎日かかりつけの病院で点滴を打ってもらっていた。毎日なので片腕だけでは針がさせなくなってきたので、両腕を交互に刺していた。どんどん両腕が内出血や針の跡で、色が青黒くなっていった。

シルバーウィークに被っていたこともあり、本来であれば病院は閉まっているはずなのにかかりつけ医1人で病院を開けてくれて、わざわざ私一人のために点滴の処置を施してくれた。(看護師よりも医師の方が点滴に慣れてなさそうという偏見があったのは内緒)

症状も改善してきたので、かかりつけ医のお墨付きももらい、大学病院へ最後の診察に向かう。もちろん父と一緒にだ。

また何時間も待たされて、診察室に入り教授と対面。問診を受け、またあの上っ面の配慮でカーテンを閉めて触診され、ようやく完治したことを告げられた。

完治はした。だが肝臓と脾臓がまだ腫れていて破裂する可能性があるとのことから、学校での体育の授業は一ヶ月は禁止となった。

とはいえこれでようやく学校に行ける。久しぶりに友達に会えるといううれしさがこんなにもこみあげてくるのかと思った。

約1カ月ぶりに学校へ行くことになり、久しぶりに制服に袖を通す。足元を見ると今までで脚が一番細かった。ずっと寝たきり生活のため、すっかり筋肉がなくなってしまったのだ

そして通学してみると驚いたのが、体力がまるっきりなくなっていたことだった。通学だけで息切れしてしまい、教室に上る階段がしんどいのなんの。これは体育なんて無理だわ。体育禁止にしてくれてよかった。

こうして私と伝染性単核球症との闘いは幕を下ろす。

一か月後、またかかりつけ医のお世話になる話はまた別の機会に。

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